その447 Sunrise from New Horizon vol.1
朝!それは、、、
文明の夜明けッ!
いまここに蘇る、眠れる巨大文明。旧くはモヘンジョ=ダロ、ハラッパーに代表されるインダス河流域の文明から、遠くユーラシアの中央部より新たな血と文化を取り込み、悠久と続くあの文明。北と南の交わる地。アジアでもアラビアでもヨーロッパでもない、かの地。
ガンジス河流域にはマガダ国、コーサラ国をはじめ数々の王国が興亡し、アレクサンドロスの侵入を経てヘレネス(ギリシア)の血と文明をもまたもや取り込み、やがて、その大地はチャンドラグプタの元に孔雀の帝国が統一。
…あれからはや2,000年…
21世紀、再び地響きを立てて立ち上がる文明、ソフトウェアとエンジニアリングの大陸、それは…
インド!!
「fig?ures series 7 girls 06 インドの女性」
昨年夏の、朝撮影シリーズ。強い曙光を浴びるプレモ女子シリーズ。2015年もやります。
2014年版はこのあたり。
そのときもインドの女の子もいました。
このfg 7-06は、さらにインド感(?)が強まったお方。プレモは、フツウの顔がヨーロピアン、細い眼がアジア系、まんまるな眼がアフリカ系など、かなりステレオタイプな設計がされてるんですが、この顔は新しい。クレオパトラともまた違うこの眼。そして、ビンディが付いています!!
インド人は何系?というのはよく聞く質問だと思います。そもそも、ニンゲンを肌の色で3種にわけていた古典的な考え方は既に否定されており、いわゆるコーカソイド(Caucasian)、モンゴロイド(Mongoloid)、ネグロイド(Negroid)、などといった分類もいまや生物学的に何の意味もありません。せいぜい政治上で誤って使っている程度。長い長い歴史の中で複雑に交じり合い変質してきた人類をそう簡単には分類できないのです。答えるとすれば、インド系というしかないでしょう。。
しかし、あえてムリヤリ言うとすれば、インド人はアフリカを出てからずっと亜大陸の西部から南部に定着し、いわゆるインダス文明を築いた、現在では南方の諸州(タミル・ナードゥ州、ケーララ州、アーンドラ・プラデシュ州、カルナータカ州)に暮らす人々の先祖と考えられる人々に、かつてコーカソイドと呼ばれた、中央アジア地域からヨーロッパ地域に拡がる、頭が長く(=前後に長いという意味)、目鼻立ちがはっきりし、手足の長いタイプの遺伝子が入って形成されていると考えられます(=という説があります)。ゆえに、その後の長い長い同化の歴史を考えると、ヨーロッパの人とある程度近縁関係にあるとも言えるでしょう。これはイランも同じこと。(もっと言うと言語はまったく違ってもセム語系の言語を話す中東から北アフリカの人々もまた、生物学的にはヨーロッパの人々とかなり近いと思われます。実際、インドの一部の人々、イランの人、トルコの人、アラブの人、イタリアやスペインの人はしばしばかなーり似ていますよね。いわゆるマリオっぽい顔だちです。)
地域柄、インドの地は何度も、中央アジアから人々が流入してきました。旧くはいわゆるアーリア人の侵入、つまり、インド=ヨーロッパ語族のインド=イラニアン語派の言葉を話す人々が、いまから3,500年頃前に侵入していますし、アレクサンドロスの東征以降、いわゆるディアドコイ(後継者)たちの政権がインド北部に展開しました。インドではこれらのギリシア人のことはYavanaと呼ばれましたが、このIndo-Greek系の王朝とその文明を我が国では"ヘレニズム文化"などと言っています。つまり、インドのギリシア化です。よく知られている初期の仏像は、こうしたギリシア系の人々が、「なぜ仏教には神々の像がないのだ?偶像崇拝禁止?そんなん知らんわ。見えないとわからん。造れ造れ。」とばかりにじぶんたちに似せて作ったため、その顔は非常にヨーロッパ的な風貌をしています。
さらに時代が下ると、13世紀から16世紀にかけてのトルコ系やアフガン系のイスラーム王朝、マムルークたちの打ち立てたいわゆるデリー・スルタン朝の時代を経て、いわゆるムガル帝国が登場。ムガル帝国は、現在のアフガニスタンあたりにアフガン系のティムールが創設した帝国を母体に、モンゴル王侯の末裔を称するティムールの子孫たちが打ち立てた、ペルシア語系の言語とテュルク系の文化を操るイスラム教徒の政権です。いわば在インド テュルク系政権。ジョチ=ウルスの末裔。"ムガル"とは、モンゴルを意味します。チンギスの政権の後継者をもって任じていたのです。
すなわち、インドは13世紀から英国領になる直前の時代まで長らく、インダス文明の末裔とも、ヴェーダの宗教を信じた新勢力とも、ギリシアからやってきた人々とも異なる、中央アジアからのテュルク系、アフガン系、あるいは自称モンゴル系の人々によって統治されてきたのです。ムガル帝国の時代、中央政権の主要な勢力圏は現在のパキスタンからインド西北部にあたり、南部や東部地域は従来からのヒンドゥー教徒の諸侯(いわゆるラジャ。藩王。)が半ば自治的な王国を維持していました。いや、現在のラージャスターン州をはじめ、ヒンドゥー系の部族が統治する地は西にも点在していたといったほうが正確でしょうか。ラージャスターンは、古代のクシャトリヤの子孫を自称するラージプート族の本拠地。ちなみにクシャトリヤとは、かつてアレクサンドロスがペルシア帝国の制度を引き継いで任命した知事(サトラップ)が語源です。サトラップ→クシャトラパ→クシャトリヤ。いわゆる戦士階級、武装貴族たちのことです。
さて、こうしたインドへの北方系の人々の流入は、遺伝子以外に言語も遺しています。インドの多数の言葉のうち、特に北方で話される言葉、例えばヒンディー語は、周辺のイラン語やネパール語と同じく、インド=ヨーロッパ語族に属しています。ほかにも例えば西南部の大都市ムンバイではマラーティー語、グジャラート語が主要な言語ですが、どちらもヒンディー語と近い関係の言語。古代言語であるサンスクリットを祖語とする言葉です。言うまでもなくこれはヘレニズムの影響ではなく紀元前1500年ごろの出来事から。その後、ペルシア語、トルコ語、モンゴル語、それからイスラームを通じてアラビア語などのさまざまな語彙が流入しました。パキスタンやインドの一部の州で公用語となっているウルドゥー語は、ムガル帝国でも使われた言語ですが、ヒンディー語を母体にアラビア文字で表記する言語です。詳しくはヒンドゥスターニー語を参照。一方、南部ではいまでもドラヴィダ語族に属する諸語を話す人々が多数。インドは、ヨーロッパやチウゴクと同じく、国というよりも一つの文明圏だ、と感じますが、こと言語の多様さにおいては、インド=ヨーロッパ語族の諸語を話すヨーロッパや、シナ=チベット語族を中心とした言語が大多数を占めるチウゴクと比較にならないほどです。
ゆえに、その文化は非常に多様。
われわれはどうしてもインド人についてはステレオタイプにみがちです。情報が少なかったからでしょう。かつて、ターバンを巻いてヘビを操ったりカレーを食ったりという姿がよく漫画的に描かれましたが、ターバンはほとんどのインド人が使用しません。あれを使うのはシク教徒と呼ばれるヒンドゥーにイスラームを採りいれた派生宗教の信者の人々。人体を傷つけてはならないという教えのために散髪をしない。ゆえにターバンで巻いているそうです。カーストを否定。苗字は基本的にはみんなシンさん。かつて首相にもいました。なぜだか、アメリカでタクシードライバーをしていたり酒屋の店主をしていること多し。なぜこれがこの国ではインド人のイメージとして定着したかというと、、先の大戦の後、連合国軍による統治のあいだ、英国軍はその領土であったインドから兵を派遣していました。それが、シク教徒だったがために、戦後世代の人々にはインド人といえばターバン、というイメージにつながったと言われています。
最近では、ビジネスでインドに関わる人も増えてきたため、こうしたおかしなインド像ではなく、各地域ごとの特色なども知られるようになってきました。たとえば…(続く)