その328
おーい、ビロン、ミロン、いい子にしてたかー?ハンナさんを困らせたりしてないかー?あら、シャルロッテ。早かったのね。
(ハンナさん、わたしはシャルロットよ。ドイツ語訛りで呼ばないで…。まあ、仕方ないけどね。)
あ、義姉ちゃん!!お帰り!
ハンナさん、いつもありがとうございます。
何を言ってるの。博物館のお仕事はもう終わったの?
ええ、さすがにきょうは、PM Bowlがありますからみんな早く上がりました。飛行機も予定通りでしたから、こうしてまにあいましたよ。しばらく休暇です。
それはよかったわ。
やったー!義姉ちゃん、一緒に試合を見ようよー!
はいはい、わかったわかった。だから静かにしなさい。猫のギイーが困ってるでしょ。
はーーーーーい!
ニューヨーク自然史博物館を経て、現在はワシントンD.C.のスミソニアン博物館に務める彼女の名はシャルロット・サンカラ。ブルキナ・ファソ出身のアメリカ移民。かつて同国の大統領を務めた革命家、"アフリカのチェ・ゲバラ"ことトーマス・サンカラ氏とは特に血縁はないようで、研究と自然保護に打ち込む彼女はコミュニストでも政治家でも革命家でもありません。かつてルイジアナのニュー・オーリンズで災害復興ボランティアに関わった経験を活かし、同じフランス語圏であるハイチの首都ポルトー・プランス復興に参加していましたが、現在は本業である博物館の仕事に復帰。
「figure series 6 ガールズ 3 コアラの飼育員」のカスタムです。いただきものです(ありがとうございます!)が、初代飼育員と別のキャラにしようとしているうちにこのようなアフリカン・ガールが出来上がりました。
シャルロットの義理の弟となっている二人は、プエル・トリコ出身。兄のエル・ビロンと弟のエル・ミロン。兄ビロンはジャズ・ミュージシャンを、弟ミロンはNBAのスター選手を、それぞれ志しています。
実はビロンはもともと、レゲエミュージシャンを志していました。アメリカにやってきてすぐ親切にしてくれた、ジャマイカ出身のアニキがラスタのヒトだったので。いま来ている服もそのアニキ分にもらいました。髪型までドレッドにしてもらって!(ってことにして衣装と設定のつじつまをあわせる^_^;)
それがいまジャズミュージシャンもいいな~と思い始めている理由は、シャルロットがニューオーリンズから持ち帰ったジャズのCDやDVDの影響とか?
ちなみにプエルト・リコ自治連邦区を離れてアメリカ本土にやってきたのは、おじのエンリケを追いかけてだとか(…って、それ、『pax vacation』の時と、おじとおいの関係が逆になっているんじゃ…^_^; いえいえ、あのこどもエンリケは、一度"回った"先の世界の人物なので、それゆえに若いのです。こっちの世界では某バンドのエンリケが、ビロンとミロンのおじさんらしいです。)
で、PM Cargoの貨物に潜り込んできたのはいいのですが、フロリダ州マイアミ行きのつもりがマツガエてニューヨークに…。そこで入国管理局ともめているところをシャルロットが引き取ったそうです。
以来、三人は仲良く暮らしていました。
余談(追記):3人のアフリカ系プレモの設定をいろいろといじってしまいました。ハンナさんがドイツ系アメリカ人でドイツ語名だってことから、英仏独西語系の新大陸都市をいくつか挙げたく。
ハンナさんはペンシルベニア州/Commonwealth of Pennsylvaniaのフィラデルフィアのヒトですが、祖母の世代まではペンシルベニアドイツ語も話せていました。ちなみにアーミッシュの人ではないのはその服装や生活様式からも明らかですね。。ハンナさんは家電好き。
ビロンとミロンはその名のとおりスペイン語圏の子たち。彼らが産まれた「プエルト・リコ自治連邦区/Estado Libre Asociado de Puerto Rico/Commonwealth of Puero Rico」は政治的にはアメリカ合衆国の一部でありながら、英語よりもスペイン語が日常的に使われている地域です。この年頃の二人だと、へたしたら英語は話せなくてスペイン語オンリーの可能性も??
というわけでニューヨークで出遭ったというジャマイカ出身レゲエ・ミュージシャンとは英語で会話したのかそれともスペイン語なのか、不明。もしかしたら音楽とボールで仲良くなったのかも。そう、ジャマイカ/Jamaicaは、スペイン語読みで"ハマイカ"と呼ばれたりもしますが、17世紀にはすでに大英帝国の勢力圏となったことから、実は現在は英語が主流。米国、カナダに次いで、南北アメリカで三番目に英語話者が多い国なんだそうです。へえ~。
シャルロットは、その衣装から自然関連の職に就かせること以外、実はあまり考えていなかったのですが、いま作っている別のネタの中でブルキナ・ファソが登場するつながりで、事前に同国出身の人を出しておくことにしました。
と言ってもgeneはこの国についてはまったく何も知らなかったので調べました。Burkina Faso。この名前はフランス語ではなく、現地の言語であるモシ語とジュラ語からなる造語なんだとか。モシ語で「高潔な人」を意味するburkinaとジュラ語で「祖国」を意味するfasoを組み合わせたそうです。1960年にフランスから独立した時にはまだフランス語の名前だったようですが、その後1984年に改名。改名をおこなったのは社会主義革命を進めたThomas Sankara/トーマス・サンカラ大統領。なんと彼は、ギター、スポーツ、オートバイなどにも精通していたらしく、国歌もみずから作詞。なるほど、オートバイ。それもあって"アフリカのチェ・ゲバラ"なんですかね。いや、それだけではなく若いことには医者を志していたそうです。これもゲバラ。なるほどー。数々の先駆的政策を実現したことと高潔さに加え、こうした個人的才能もカリスマ的人気の源泉でしょうか。
サンカラ政権下のブルキナ・ファソは、ソ連とは一定の距離を保っていたとはいえ、キューバ、アンゴラ、モザンビーク等と近く交流したまぎれもない左翼政権。かつては国章にも堂々とAK-47自動小銃が掲げられていました。当然、フランスやアメリカからは煙たい存在だったはずであり、逆にブルキナ・ファソにおいてもそれらの国々はあまり愛すべき国ではなかったはず。なのにそこで育ったという設定のシャルロットがなぜアメリカへの移民を志したのか、それは不明。。。サンカラが解体した旧地主層の親に連れられてきたのか??それとも逆に、サンカラをクーデーターで倒した側近コンパオレ大統領派と対立した一家だったのか?はたまた最近の混乱を予見して?(※コンパオレ長期独裁政権は昨年2014年10月28日、国民による反政府運動の結果、崩壊しています。現在も混乱は継続中。独立から54年、新国名選択から30年。新たな道はいかに。)いやいや、単に学術と自然保護を極めるためでは??いずれにせよ、New Orleans / La Nouvelle OrleansやPort-au-Princeなど、アフリカ系市民とフランス語にゆかりのある都市で社会活動に携わる彼女には、どうもサンカラ由来の気高い精神が、ちゃんと流れているような気がするのです。