2015年5月30日土曜日

その418 

そしてッ!

こちらが、オランカイ!?

いやっ!

建州女直のリーダーにして

満州族創設者、

Founder of Qing Dynasty

ヌ・ル・ハ・チ

トラと闘ったかどうかは定かではありません。

しかし、当時3つに分かれていたと言われる、女直、すなわち、建州女直海西女直、そして野人女直(おそらくは非ツングース)の各部族を束ね、いわゆる満州族を創設したお方。

"6328 3 Green Samurai Knights"改

なんとなく、そのカラーリングと兜の様子が、中原の方でもなく列島の方でもなく、そしてヒゲ、ということで、草原と森林を駆け抜けた一代の野心家、ヌルハチとさせていただきました。




清朝初代皇帝として知られるヌルハチ。

しかしなんと、現代の大陸では彼は皇帝ではなく、しかも、彼の後継者たるホンタイジ(皇太極)すらも皇帝ではなく、第三代順治帝が、清朝初代皇帝とされているそうです!

なぜなら…

そう、ヌルハチは、中原に入っていないのです。。。

時は17世紀初頭。

列島からの嵐吹き荒れる半島と北東部。明朝は、列島軍への対策に力を削がれ、これまで危険視して慎重に対応してきた東北部への対処がおろそかになります。そこを縫って、建州女直のヌルハチは部族を統一。ついには満州族の族長として、中原を狙うに至ります。

しかし…。

彼は中原攻めの最中、万里の長城の東の端、山海関に設けられた関門を通過しようとする戦いの最中、中原軍側の最新鋭のヨーロッパ式大砲の前に、あえなく負傷。

その後まもなく、この世を去ります。

明言されてはいませんが、恐らく、この戦いによる負傷が原因ではないかと言われています。


その後、少々のメンドウの後に、ホンタイジが後を継ぎ、呉三桂ほか中原軍側の寝返りもあって、満州軍は長城越えを果たしますが、このホンタイジもまた、中原を制覇するには至りませんでした。

それが成ったのは、第三代のいわゆる順治帝、愛新覚羅福臨の時代になってから。

ゆえに、中原側の視点でいえば、清朝の初代皇帝は、あくまで順治帝なのだそうです。

確かに、ヌルハチの時代は、まだ清と名乗っておらず、かつて同族の女真族が建てた王朝「金(Jin)」にちなんで、同じ「金(後金)」を名乗っていたのでした。

ちなみにこの右手の刀、中原ぽいデザインの刀、新アイテムですね!!\(^o^)/

中原軍。

半島郡。

列島軍。

そして東北軍。





さまざまな勢力が蠢き

新たな17世紀を

創りだした時代…


奇しくも、Memorial Day, May 24thにちょこっとだけちなんだ形になった5月23日の前回。

こちらは、その頃同じく動乱であった東の果ての、さらにまた350年ほど前の、お話。


その名は…

愛新覚羅弩爾哈赤

尊称…

承天広運聖徳神功肇紀立極仁孝睿武端毅欽安弘文定業高皇帝

Chéngtiān Guǎngyùn Shèngdé Shéngōng Zhàojì Lìjí Rénxiào Ruìwǔ Duānyì Qīn'ān Hóngwén Dìngyè Gāo Huángdì

…って、ながいっ!!(笑)