その159
は、母上!…「右近さま、夫を、夫を救ってください。
まだ、幼いこどもが、又兵衛がいるのです。
夫は、夫は、ナニモノかに陥れられたのです。」
う、あ、あいつは…
「奥方様…。村重さまは恩義ある方。そして信長さまはこれからのこの国を創っていかれる方。そして多くの信徒たちと私自身の将来。わたしはいずれも大切に思うております。必ずや、和解を…。」
ち、ちちうえ!
早まってはいけません!
母上を、忘れてはなりません!
~『二寸半 洛中洛外図屏風』 おぼろの記憶~
安土の城と有岡の城、父と母、
そしてあの男たちの物語。
「船を漕げ~」
遠く安芸の国からやってきたのは、毛利の水軍。
父 荒木村重が信長の命を受け長らく攻め続けた石山本願寺に兵糧を運び込むべく、参上。村重はホントウに兵糧を横流ししたのか、それとも毛利の攪乱情報戦か、あるいは信長側近の讒言か…。
「これで本願寺の門徒も、まだまだ抵抗を続けられよう。村重にはワルいが、この地を信長に渡すわけにはいかん。そのためにはわれら毛利水軍、まだまだやるぞ。」
ここでのシッパイ、あるいは裏切りの疑惑が、信長の村重に対する眼を厳しいものとし、やがて追い詰められた村重は信長の恐怖におびえ、かの有名な本能寺の変に先駆け、信長に弓ひくことになりました。
敵であった本願寺と毛利の援軍を頼って…。
さてさて背後にいたのは、本願寺か、毛利か、それとも宇喜多か将軍義昭か。羽柴、黒田が黒幕という説もまた…。
舟には門徒らしき兵が乗っています。以前は真言宗門徒の根来とか虚無僧とかgeneのカンチガイでヘンな役に抜擢されかけましたが、今回は真宗門徒の役柄。でもこのトンデモカスタムの姿は気に入っているのです。
はたまたあるいは伴天連か。
「ぬれぎぬはやめてちょ。」
当時、摂津池田家家臣時代からの付き合いであり村重の部下同然であった高山右近は、キリシタンに改宗。
右近の去就が勝敗を決めた(?)こともあり、結果的に信徒たちは得をしました。途中、まじで危なかったけど。
大河ドラマでは、村重の妻、だし(すげー名前…)も同じく信徒になっていたという設定でした。これホント?なんでも、だしという名がDaxiという洗礼名ではないかという説から来ているとか。
そして、信長もまた、パードレ オルガンティノとお付き合い。
「秀吉め!わしはお前の部下ではない!」
「村重どの、考え直されよ。おぬしの行く道は、滅びの道じゃ!裏切りの道じゃ!」と大河ドラマで言っておりました。誰が?これが...
ち、父上~
「figure series 5 ボーイズ 2 忍者」が偵察中。
「荒木村重に、叛意あり、っと。さーて、報告報告。」
旧知であった黒田官兵衛孝高をも仲間に引き入れようとしますが、シッパイしたとされています。
「村重どの、信長には勝てませぬ!」 by 岡田君。
過去シツコイほど登場している「5493 ドラゴンと宝物」の銀の侍。槍は、、、本来別に必要ありません。なんとなく鎧が黒っぽいので黒田君。でもホントは赤でしたっけ?
こちら、まだみなさん仲良しだった時代の話。花持ってるこの方、お市じゃなくって濃姫のほうがよかった?
村重の後ろにこそっといるのは、徽王の王直なのか、それとも同じく摂津、堺のあきんど、小西商店社長、行長のオヤジか?種子島を商っているということで。
「む、村重どの!おぬしに勝ち目はない!」 |
「どうでもいいけど、、、早く終わらないかなあ、こんなちなまぐさーい世の中。早く農耕馬に戻りたーい。戦馬はくたびれるし、アブナイし、鋤じゃないんだよ…もとい、好きじゃないんだよねー。」 by 木曽馬
「6256 三頭のポニーと桶」より、一頭登場。
そしてその後ろにいる、何やらかづきものの女性は?
「ぱ、パードレさま。右、右近さま…
夫を。夫を助けてください。
まだ二歳の幼いこどももいるのです。」
と、かづきものの女性は言いました。彼女、つまりだしこそが、絵師岩佐又兵衛の母、なのか?絶世の美女だったという記述があるそうです。
「4530 魔女」の、蜘蛛の巣をできるだけ映さないようにしつつ欧州の貴族キャラとかがしばしばもっている十字架の錫杖を握っていただきました。まつげバサバサは美女の証。
「だしどの。」
by 生田君。
カタナはそれっぽく鎧はあちらっぽく。
ホントかどうかはともかく信徒と共に理想に燃え、野心にも萌え、しかーし恩義ある村重にも逆らえず、信長の命にも刃向えず、人質も取られ板挟みで苦しんでいたという設定をもらいがちな高山右近。
ヒジョウにフクザツな経歴や立場の方ですね。
三好、松永、池田、和田、そして荒木など各氏に仕えつつ、最後は信長の配下に収まったキリシタン大名。「4583 歩哨兵 a.k.a. お城の番人(special)」、初登場にしてこのカスタム^_^;
なぜ父を裏切った、右近。
なぜ父を救うてくれなんだ、官兵衛。
そして父よ…。
なぜ母上とわたしたちを見捨てた…。
もんもんもんもん。
そして伴天連どのよ、異国の者たちよ、教えは、教えは人を救えたのか?わが一族を救えずとも、信徒を救えたのか?
それとも、やっぱりアレか?
「せがれよ、怒るでない。わしは精一杯生きた。その時その時、おのれのやれることをすべてやった。力及ばずつらい思いもした。人に後ろ指刺されもした。しかし精一杯生きた。おぬしたちにはわるいが、悔いはない。そういう時代だったのよ。
わしだけではない。皆、日ノ本の者も、異国の者も、侍もあきんどもボウズどもも、男も女も、町衆も田畑を耕す者も、みな、いきいきと肩をいからせ、時には歌い、時には踊り、争い憎しみあいながらも、精一杯おのれの生を貫いたのよ。信ずるものが違い、ゆく道が違い、勝ち負けがあったとしても、決して、わしは人を恨むまい。おぬしも、恨むな。」
そうか、、いきいきと。ザンコクな中にも笑いと元気を絶やさず。
時には饅頭に食らいつき、時には美しき妻をみつめ、そして時にはこのわたしをその手に抱いてくれたのだろうか…
たとえわたしたちを捨てようとも、それでももがき、逃げ、またもがき、生き続けようとしたオヤジ…。
ではもう私も恨むまい。
むしろその時を生きた、父と共に駆け抜けた人たち、翻弄された母たち、そしてその後の一瞬の輝きたちを、ひとり残さず描いてやろう。
人がこれ以上ないほど人らしく醜く楽しく踊り暴れている様を、ジョジョ立ちのごとくにおおげさに描いてやろう。
安土の、大阪の、堺の、京の町にひしめいた、あの当時のありとある人々を!!!