2014年2月23日日曜日

その080 

馬、ちっさくてわるいか!


・・・と言っているわけではないと思いますが、ポニーにまたがるのは、旧き騎馬民族のお二人。

スキタイ、あるいは、サカ・ティグラハウダーの老王こと、「5493 ドラゴンと宝物」に入っている謎の魔法使いのカスタム。オリジナルの黄金のトンガリ帽子に、新たに黄金の弓と鞭を持っていただいて、ゴールド大好きサカの再現です。

と、左はフン族の王、キョウフの大王アッティラ「4535 モンゴルの戦士 a.k.a. アッティラ(special)」。絶版品の人気作です。パッケージがこわいので有名?

ソースを失念してしまいすみません。4535は、各国語でモンゴルの戦士だとかコサックの戦士だとかいろんな言われ方をしているのですが、フン族の首領アッティラだとしていた場合も一度みかけました。

このボーダーといい、赤シャツといい、正体不明です(笑)

ふたりとも、ヒゲがとにかく立派。白髭と黒髭です。






さて。スキタイ、あるいは、サカとは、ユーラシアで活躍した初期の遊牧騎馬民族で、ギリシアのヘロドトスの記述や、ペルシア語、サンスクリット語、漢語などの文献に登場する部族です。カスピ海や黒海の北岸、つまり現代のウクライナやカザフスタンのあたりから、遠く東方まで闊歩した民族で、『史記』では「塞族」と記載されている部族がこれにあたるとも言われています。

有名な"人間万事塞翁が馬"という成句の"塞翁"は、サカ族のおじいさんというわけ。なるほど、馬を飼っているわけです。

塞という字には、さえぎる、つまり蛮族の侵入を防ぐという意味と、象形文字としてサカ族の容貌(兜の形状)を示した意味と、音としてSaka/Schthaeを捉えた点と、3つの記号が融合した文字だとgeneは考えています。

このサカ。特に、サカ・ティグラハウダーとギリシア人に呼ばれた部族は、 "とんがり帽子のサカ"として知られています。こちらの写真をご覧ください。これは、カザフスタン南部のアルマアタで発掘された通称"イシク・クルガン/イシク古墳"と呼ばれるサカ族の遺跡から出土した、黄金の鎧兜。

そう、とにかくサカ族は黄金が好き。そして二つ名にもなったほどとんがり帽子好き。この風習は、後に草原の諸部族の黄金のバックルや兜に受け継がれたようです。

スキタイ/サカは、ギリシアはもちろん、アケメネス朝ペルシア、ヴェーダの時代からアレクサンドロスの時代までの古代インド、殷周・春秋戦国・秦漢代の東アジアまで、広い地域の歴史に影響を与え、またその後の多くの遊牧騎馬民族の文化的、あるいは、血脈的な源流となったと考えられています。

それだけでなく、ギリシア神話の半人半馬の賢人ケンタウロスも、ギリシアの北から来るわけですからおそらく彼らサカのことを言っていたのではないでしょうか。ケンタウロスは荒々しい風貌に反して、学識が高く、医術をギリシアに伝えた、そして不死であったと伝えられます。サカ族の一派、サカ・ハオマヴァルガーは、アヴェスターでいうハオマヴェーダでいうソーマ、つまり神々の強壮剤の作り手だというのですから、医術、不死、そして強健さとの結びつきは不自然ではありません。


そしてフン族。紀元4世紀、ユーラシアの全域を震撼させた、東西の民族大移動。その引き金となったとも考えられるのが、このフン族。いまだ諸説ありますが、東アジアの匈奴が、ヨーロッパにおけるフン族だと考える研究者も多数。匈奴=(上古音では)フンヌ=Hunnというわけです。

東方。時は晋朝。皇族同士の争いから始まった通称"八王の乱"では各勢力が北方、西方の"蛮族"をあたかも傭兵のように用い、おりしも三国時代の戦乱で人口が減少していた中原には多くの北方・西方諸民族が移住しました。続く"永嘉の乱"では、漢民族的教養を身に着けた匈奴の族長 劉淵 が、母方の血統を理由に漢の後継を名乗り、匈奴大単于兼漢王として、"趙(いわゆる前趙)"を建国。後に独立して別の"趙(いわゆる後趙)"を建国することになる羯族石勒らとともに、華北地帯を制した時代です。

これらは"五胡十六国"と称される東方での民族大移動-主として南下-の動きなわけですが、これと時をほぼ同じくして、ヨーロッパにおいても、いわゆるスラブ、バルト、ゲルマン、ケルトなどの諸民族が大挙して南下し、最終的にはローマ帝国の滅亡の原因を作っています。(このあたりは、"pax fantasica"より、ローマの最期と蛮族の活躍を描いた『落日』をご覧ください!!)

これは、劉淵や石勒の時代に先だって、匈奴の一派、いわゆる北匈奴が、漢と南匈奴の連合に敗れて西方に去り、フン族と呼ばれる存在となって東ヨーロッパ全域を"押した"ため、ところてん方式でヨーロッパ北部の諸民族も移住を余儀なくされたのだ、と考えることもできます(geneはそのように考えています)。また、そのそもそもの原因として、ユーラシア全域で地球寒冷化が発生し、必然的に人々が南へ、南へと移って行ったのだと考える人もいるそうです。

アッティラはヨーロッパでは非常におそろしい存在として伝承されているようで、こどもをあやす(というより脅す・・・)ために、「いつまでも泣いているとアッティラが来るよ!」という地域もあるとか。オニが来るよ的なものですね。。。

また、 ローマの陥落の直接の原因になったとされる傭兵隊長オドアケルですが、実は、一般に知られるようにゲルマン民族ではなく、族長アッティラの外交官として東西のローマと交渉をもったフン族の貴族の子だという説もあるそうです。


サカ族の老王。塞翁。そしてフン族の族長、アッティラ。

しかしいずれも東方の遊牧民族なのであれば、その武名、勇名、キョウフの伝説に反して、、、


たぶん乗っていたのはポニーでしょう(笑)

馬、ちっさくてわるいか!!



いずれ、ローマ兵、ゲルマン族長、ケルト族長、バルト族長らと共に、あるいはアレクサンドロス大王と共に、このアッティラやサカも同時出演させた演目をやってみたいものです。


追記:写真をよくみると、この時にはアッティラはポニーではなく馬に乗っていますね^_^; 普段はポニーに乗せているのですが、たぶんジョチか誰かに乗騎を貸している気がします。。

再追記:あらためてよく確認したところ、やはりちゃんと小さな馬、つまりポニーでした。 しかし黒いポニーは出所不明です。サカ族の老王の乗騎は「7112 ポニー(add-on)」の三頭のうちの一頭。ほかに同じのが一体と、茶のブチが一体で三頭のパッケージ。以前紹介したネイティブアメリカンのこどもの乗っているのは「4629 先住民のこどもとポニー」のオリジナルパッケージ。では黒いポニーは???