その139
走れ!走れ!駆けろ駆けろ!春の訪れに追い越されるぞ!前へ前へ!
…と、砂を蹴立てて突進してくるのは?…ローマ兵?そしてその車を牽くのは…?
二頭の馬!
これは…チャリオット!(しかも車輪の色からはシルバー・チャリオッツ!?)
「4270 古代ローマ軍のコロシアム」より、二頭立てチャリオットの戦士、登場です。
巨大セットである4270の中でも主役級なのがこちら。geneもこの方ほしさに、過去最大級、最高級(?)のこちらを悩んで悩んで購入いたしました。
※2014年4月現在。某東京都某中野区某ビル某3Fに未開封品らしきものが一箱現存しているのをカクニンしました!
さて、チャリオット。
なんともイカツイものもつけてます。。。
どいたどいた!アブナイよ!…って、お前がアブナイわっ。
こちらは対戦相手の車輪にさしこんで、車輪を壊してしまうための武装なのでしょうか。。。あぶねーって。事故るでしょ。
過去、演目では2014年1月、二本立てローマ帝国の前編『ルビコン河の最果てに・・・。』に出演。役柄こそヒールであるアントニウスでしたが、予告編からめだちまくっておりました。
写真の色調や露出の加減はあちらのほうがローマっぽくてあっていたかな。
ローマのチャリオットは正式には四頭立て(クアドリガ)。
たとえばプレモですと「4274 古代ローマ戦士の二輪馬車」が白馬四頭にひかれています。白と青のカラーリングの一品。
gene的にはこちらの赤と黒と銀のほうが好みです。たとえ二頭でも色重視。
プレモのローマ兵は数あれど、兜、鎧、盾、剣の色はゴールドかシルバーがほとんど。このくろがねっぽい色のものはめずらしいのでそこもマル。
ローマ兵の剣、鍔が小さいタイプの直刀で、雰囲気出てますね。geneはだいたい10本そこそこ所蔵中です♪
はい、ここらでおなじみの余談。
21世紀の現在、チャリオットと言えば、J.P.ポルナレフのスタンド「シルバー・チャリオッツ」 や、ジョナサン=ジョースターとワムウの戦車戦が有名ですが(笑)、古代世界では、オリエント、エジプト、ギリシア、ローマ、中原など各地で使用されました。ローマの戦車と言えば、映画『ベン・ハー』の大スペクタクルやそれに影響を受けたと作者も語ってらっしゃる『テルマエ・ロマエ』ルシウスの温泉戦車戦が有名でしょうか(笑)古今東西、絵になるシーンです。
戦車の登場は騎馬のそれよりずっと古く、ヒッタイトが鉄と馬をもちいたのは有名ですがその時も騎馬ではなくて戦車。当時エジプトの壁画に描かれたのがこちら。古代世界で貴族階級としての王侯戦士が誕生したのはこの車輪と戦車というテクノロジーの帰結だとも考えられています。
つまり、高度な戦闘技能訓練を必要とする強力な兵器の誕生に伴って、生産活動に従事せず、一日の大半をその訓練、つまり鍛錬に充てることのできる層が、社会的に必要になった。そして有事の際には彼らが王権や土地を守る存在としてたちあがった。これが、戦いを媒介とした階級社会の誕生の経緯だというわけです。チッ。
しかし、基本的に平地での活動を前提としたチャリオット。オリエント世界の舞台が現在のイラクやヨルダン、イスラエルの平地からイランやコーカサスの山岳地帯方面に拡がっていくにつれ(?)、騎兵によって主役の座を追われます。テクノロジー的には鞍の発明も一役買っているでしょうか。
その姿は後にシルクロードを経て遠く離れた東の果てまで伝わります。国宝法隆寺『四騎獅子狩文錦』の刺繍がそれ。この通称パルティアン・ショットと呼ばれるスタイルは、馬上で振り向いて後方に矢を射る姿で、イランをはじめ各地の騎馬民族の得意とする戦法でした。
東方では、中央アジアの草原地帯からやってきた狩猟採集民族が、鞍や鐙を使わず騎射する技術をもって中原に南下し、またたくまに戦車戦の時代を騎馬戦の時代へと変えていきました。時は春秋戦国時代。戦国の七雄と呼ばれた大国のひとつ、名門の趙は、地理的条件から早くから北方の匈奴と対峙し、その脅威に打ち勝つために逆に優れた騎馬の技術を吸収。馬上で動きやすいように胡服、つまり北方蛮族風の服装を取り入れ、騎射の鍛錬を行いました。
同じく匈奴の脅威と闘ったのは、趙を滅ぼし中原をはじめて統一した かの秦ですが、始皇帝の墳墓、つまりあの兵馬俑からはチャリオットの模型(?)も出土しているそうです。つまりこの時代は、戦車と騎馬の混在した時代だったということでしょう。このあたり、5月の演目にてさらに詳しく掘り下げますヨ!
ちなみにgeneのプレモも、ある種兵馬俑。。。Terracotta ArmyならぬPlastic Armyと呼ばれぬよう、生産活動に従事している人ももっと増やしていきたいなと考えるこの頃です。。